人生の目標は「生きているだけで生きていける」こと。
ふと何か書いてみようと思う事がある。
そしていつだったか、たしか10年近く前に書いてみた小説「万作」全七話をひとまず アップしてみる事でブログを作るところまではやってみたのである。
それからちょうど半月が経ったが結局なにも書いていない。。。
これではいかんと思ってパソコンの前に座ってみたと言う訳である。
・・・まずは自分のことから書いてみたいと思う。
ここ10数年ギターを弾いたり教えたりして暮らしている。
都心の某大学の理工学部・土木工学科を卒業して以来と言う感じだ。
(なぜそのような経歴となったかについてはいつか書くかも知れない。書かないかもしれないけど。)
おととし個人名義でメジャーデビュー盤を出したしそれに伴って、あるいはそれに伴わずとも自分のライブもやり続けている(アーティスト業)、先日は参加しているバンドでフジロックに出たりもした(ミュージシャン業)。
ジャズの分野が主であるが、ロックフェスにも出たりする。
自分の作曲がテレビなどでかかったりするといくばくかの著作印税も振り込まれたりする(作家業)。
そんな感じ。
とにかくおおざっぱに言ってその様な仕事をしていて、これでだいたいの年齢と仕事の雰囲気が伝わればそれで良いと思う。
で、なにを書こうかと言うことなのであるが、最近目にした言葉で、
「精通していて、利他的である」これが、あらゆる営業活動の大前提。
と言うものがあった。
とても深く「うん、そうだな。」と思った。
わたしは会社勤めをした事がないので、もしかするとこれは新入社員にまずはじめに言い渡されるような社会人の基本みたいな事なのかもなとも思った。
それで思ったことがある。
先に書いたわたしの仕事についてであるのだが、
・アーティスト業(わたしが商品)
・ミュージシャン業(技術が商品)
おおまかにこんな感じの前提とすると、「精通していて、利他的」これを達成しようとした場合に「技術が商品」の場合は水のトラブルの際に呼ぶク〇シアンや、バカボンのパパみたいな植木屋さん(彼が植木に精通しているのかは不明だが・・・)、調理師・料理人、床屋さんに美容師、ソムリエやプロ野球選手だってここに当てはまるので何だかとってもわかりやすい気がする。
・アーティスト業(わたしが商品)
の場合にはどうだろうか。
ただし、ここで題材にするのはアーティスト業、しかもステージパフォーマンスをする類のってことに限定したい。
自らが主となりプロジェクトを仕切って音楽を演奏・歌ったりとか(誰かのバンドに従として参加してという事でなく)、芸人さんとか、ダンサーとかetc...
と言うのは、例えば同じアーティストでも画家や書道家、彫刻家などの造形家、文筆家だって、あるいは音楽の分野でも作曲家や(わたしにもその部分がある)、ライブをやったり動画に登場したりなんて事はやらずに録音物を作るのみと言う場合などは作者の手から完全に離れていても、仮に作者不明でもその作品に価値が見出されさえすれば商売(と言う言葉が適切かはわからないが、アーティストとて衣食住費や税金だって払わなきゃ行けないので稼がにゃならん。)が成り立ってしまう。
なんなら「あの時のアレ、売れたんだ。へぇ。」みたいな感じでも成り立つと言うことだから、作品が売れさえして必要なお金さえ稼げるならば自らに没頭して作品作りのことだけ考えて生きて生涯を終えることだって可能だ。
(ただしこれはとってもひと握りの人たちの世界だけれどもね。)
つまりこの人たちの場合は「わたしが商品」ではなくて、「わたしが作ったものが商品」なのだ。
いわゆる作家業。
もちろんその「わたし」自身にも何らかのタレント性があればその「商品」はより良く売れることでしょう。
しかし、ステージパフォーマンスをする類のアーティスト業の場合はどうだろうか。
ここには確実にタレント業の側面が加わる訳だ。
ようするに視覚的な情報がどうしても入ってしまうのだから、それを除外してはどうしても語れないと言うことだ。
場合によってはそれが本質的にアーティストであるかは別の話だけれども視覚的な情報から得られる満足度がかなり高く、本人が本気でそう思って表現されている内容もわかりやすい場合になんかは他者からその個人に価値が付与されやすいし、お金に変える仕切りさえ上手くやれば少なくとも「アーティスト業」は成り立ってしまう。
あるいは、本人が本気でそう思って表現されている内容もわかりやすくて、その内容がともするとある種のライフハック術的な利用価値があるものならば(よく考えればその内容があまりに平易でも)、その見た目も含めた個人に価値があることになって「わたしが商品」が成り立つこととなる。
誰かから与えられた内容を実演しているだけだったりした場合には、その運営サイドにとって「わたし」は商品とされている。
という事になるだろう。
とした場合でも、「わたしは"わたしの実演を他者に商品とさせること"によってわたしの生業を成立させている」のだから、何だかややこしい言い方をしたが要するにアーティスト業である事にはたぶんきっと変わりがない。
アーティスト業と言うのはそう言う意味合いのことを言いたくて使ってる言葉で、その中で『"わたしが" "わたしを商品として"生きていく。』と言うケース・あり方について話をしたいのだ。
ではここで元の話題「精通していて、利他的」に戻るが、この場合でそれを達成するには「わたし」についてわたしが精通していて、その「わたし」は利他的であると言うことが必要な訳だが、これはなかなかとっても難しい。
芸術表現とされるようなくくりの物事は要するに「記号・抽象化された何らかの複雑に組み合わされることによってそこから薫り立つひと言ではうまく言えないような何か。」と言うことだと思うので、その上で利他的であるとするならば「ひと言ではうまく表しにくい程度まで抽象化した何か。(アイキャッチ・イヤーキャッチetc... 添え)」と言う地点を目指すということになってしまう。
まとめれば。
「世間的に言えば変わり者の部類でひと言では何だかうまく言い表さないような人種」である事がわかりやすい人が、アイキャッチを添えて、例えば音楽を演奏したとすると、その音楽の内容はほとんど何でも良かったとしてもアーティスト業に従事するアーティストと言うあり方が成立してしまう。
(*'へ'*) ンー
これは音楽のアーティストではないが、「音楽のアーティスト」だよなあ。
作家業をして生きていけるだけのその分野への造詣がなくても良いし、兎にも角にもそれは「音楽のアーティスト」に違いない。
アーティスト業を志すということはつまりこう言った中で、それらを競合他者として暮らしていける分くらいのお金を得る程度を最低限にして勝ち続けていくと言う事なのだ。
逆に言えば、暮らしていける分くらいのお金を稼ぐ事さえ叶っているならば少なくとも最低限の勝ちを手に入れていると言うことだし、「わたしはわたしを商品として生きていけている」と言うことだ。
ちなみにこの文章を書いているわたしはと言うと、繰り返しになるがアーティスト業と、ミュージシャン業(技術提供業)、それに伴う形での作家業の部分(自作曲を録音したり演奏したり、それが放送に使われたりetc...)からくる著作印税の収入を合わせてこの10数年を生き延びてきた。
まとめて言うと音楽家と言うことで、確定申告のときに業種の欄にもそう書いている。
わたしの人生の目標は
「生きているだけで生きていける」こと。
なのですが、ここまでで説明して来た「アーティスト業」と言うあり方はとってもそのイメージに近い気がするんです。
願わくば「アーティスト業を生業とするアーティスト」を目指したいわけですが、その地点に向かって行くために『「精通していて、利他的である」これが、あらゆる営業活動の大前提。』と言う、ともすると新入社員にまずはじめに言い渡されるような社会人の基本みたいな事についていま1度よく考えてみることがとてもヒントになりそうだなあと思ったのでした。
でもまだ何だか語り切れるほどわかった気がしないですし、もっとよく考察したいし、もっとよくわかりたいです。
(って言うか、アーティスト業だけで生計が立ったその時点になるまでは何だか良くわからんのかもなあ。)
とまあ、もしこれを読んだ方でご興味湧いた方などいらっしゃいましたらご一報ください。
(出来れば都心で)酒でも飲みましょう。
で、これでひとまず急転直下。
本記事いきなり終わり!
そんな一席でございました。
ちゃんちゃん。