万作の日記

人生の目標は「生きているだけで生きていける」こと。

『万作』④ポリタン

『万作』
■ 第四章 ポリタン


「ポリタン」
そう言う、ロボットの名前である。


正確にはロボットの名前かどうかも怪しい。
だからきっと、何らかのイメージの焦点の一部なのであろう。


ポリタンは空が酷く晴れているので、とても楽しそうにしていた。
喋々が飛んでいた。


ポリタンは、友人から「ポリタンくん」と呼ばれていたが、その呼び名は何だか「ポリタンク」みたいで、その呼び名については不愉快を感じていた。
それ以外は、楽しそうに過ごす事が出来ていた。

きっと空が酷く晴れているからだろう。


もちろん。
イメージの焦点の一部なので、次の瞬間にそれはそうで無くなる可能性だってある。


とにかくある時「ポリタン」とはそう言う存在で、それはロボットの名前であったが、正確にはロボットの名前かどうかも怪しかったし、次の瞬間にそれはそうで無くなる可能性だってあった。

『万作』③喫茶メルヘン

『万作』
■ 第三章 喫茶メルヘン


◆ 昼間の憂鬱が持つ輪郭をどうにかしてぼやかす事。

「喫茶メルヘン」は、そのネーミングセンス同様に、少々パッとしない町の喫茶店だ。
ベタベタしてあまり美味しくないエビピラフか、ケチャップの味そのものの工夫の無いナポリタンが名物である。

薄暗い店内にはカウンター席が5つと、4人がけのテーブル席が2つ、2人がけのテーブル席が2つ。
ヒヤシンスの水鉢が3つと、雑誌が並べてある棚が1つ、壁には薄暗い絵が飾ってある。
音の鳴らない、あるいは音を消しているテレビが、ランチタイムのテレビ番組のエンディング部分を流していた。

それ以外には、3人がけの円形のテーブル席が1つあるのだが、3人がけとは言え、詰めれば4人や5人は座れなくも無い。

こじんまりとした店だ。


現在、午後12時55分。
万作は喫茶メルヘンに到着し、店の一番奥にある4人がけのテーブル席に着き、数あるメニューの中からエビピラフやナポリタンは選ばずに、ソーダ水を注文した。
なぜなら、喫茶メルヘンのエビピラフやナポリタンを彼はあまり美味しいと思っていなかったし、さっき、空腹は満たして来た。
それに、目が覚めてすぐコーヒーを飲んでいたから、コーヒーを選択肢から外したからだ。

それ以外であれば何でも良かった。
目に付いたのがソーダ水だっただけである。

だから、この場合のソーダ水は万作の性質を語る上で何の情報にもならない。


そして。
傍らに置いてあった適当な雑誌を眺めては、昼間の憂鬱が持つ輪郭をどうにかしてぼやかす事に集中する。


昼間の憂鬱とは厄介なもので、昼間が終わるまで、彼に付きまとうのだ。
だから、早く昼間が終わって欲しいと、万作は心から思っていた。


雑誌に飽きると、店内を見渡しては、テレビを眺めるでもなく眺めたり、ソーダ水を飲むでもなく口をつけたりしてみる。
タバコを箱から取り出してみては、ライターに火を灯し、タバコへは火を点けずライターの火を消す。

それが、万作の昼間の終わらせ方だった。


店内にはソーダ水を万作のテーブルへ運ぶとカウンターの中へと戻り、それからぼんやりとテレビ画面を眺め続けている50代半ば程の店主と、万作一人であった。


万作はとにかくうんざりした気分から開放されたかったのだが、「ひっそりと世界の何処かに佇む、誰からも忘れ去られた古代遺跡に這うツタを揺らす風」はいったい何処から来るのだろうかとふと考え出してしまうと、彼をうんざりさせている原因の一つである世界はいつしか万作を虜にしていた。

「風」とは「思念」なのだろうか。

そうやって「喫茶メルヘン」の片隅で虜となっている万作が、ライターの火を使って、先ほど箱から取り出したタバコに今度こそ火を点けようとしたちょうどその時。


喫茶メルヘンの出入り口のドアが開いた事を示す、チリンチリンと言う鈴の音が聞こえた。


◆ 「空が酷く晴れた日」と言う名の今日。

現在、午後13時22分。
ジョン吉は、彼にとっての「とある喫茶店」である所の、「喫茶メルヘン」の入り口のドアに付いている鈴を鳴らした。


本来であれば、十分程で到着する予定であったが、何故だか到着には小一時間が掛かった。
スクランブル交差点や、昼間の街灯、手のやり場や、ポケットの事は、きっと時間を消滅させる効果があったのだと、ジョン吉は思った。

思ったというより、どうでも良かった。
なぜなら、ジョン吉は今日と言う日が嫌いだったし、時間が消滅する事もありえない。
どうでも良かったので、そう思った。

あるいは、今日は何だか気持ちが晴れやかでは無いので、「今日」が嫌いになった。
時間も何処かへ消滅してしまったし。
と、言い換えても差支えが無いとジョン吉は思った。


そもそも、自分の気持ちが晴れやかで無いのは、空が酷く晴れているからであろうか。
そんな気もした。

そう考えると、喫茶メルヘンの薄暗い店内は、もしかしたら今日の自分にとって最適な場所だと言えるかも知れない訳だ。


店内にはテレビ画面をぼんやりと眺めている店主と、一人の男が居た。

その一人の男は店の一番奥にある4人がけのテーブル席に座っていたのだが、その席はジョン吉がいつも座る席だった為、少し戸惑った。
しかし、気を取り直してその隣にある同じ色形をした4人がけのテーブルへ腰掛ける事にした。

テーブルだけを眺めている分には、いつもと同じ光景を得られるからだ。


ジョン吉は、彼にとっての「とある喫茶店」でいつも注文するナポリタンを注文し、店主の運んできた水の入ったグラスを手にした。
水の入ったグラスを手に取る事は、手のやり場に対する考察の一時的な結論である。

そして、その後はテーブルを眺めていた。
やはり良く見ると、いつもと違うテーブルなのだが、その事に何だか新鮮な気分を感じた。

味気無いナポリタンが待ち遠しかった。


◆ メルヘンナポリタン。

壁に掛けられた時計の針が午後13時46分を指そうとした時、喫茶メルヘンの店主は「メルヘンナポリタンおまたせ。」と言い、ジョン吉のテーブルに皿を置いた。

いつも思うのだが、ナポリタンの名称は、どんなナポリタンだって「ナポリタン」で十分だ。
「メルヘン」は不要では無いか、とジョン吉はいつも思う。

また、ナポリタンと言う言葉は、何度も反芻する内に、ゲシュタルト崩壊を起こしやすい言葉だとも思う。

それにこの場合「メルヘンな、ポリタン」と区切る位置を変えると、「ポリタン」って一体何の事だろうか。
と、新たな疑問がわいて来たりする。


「いつも思うのですが、ナポリタンの名称は、どんなナポリタンだって「ナポリタン」で十分だと思いませんか。」
隣のテーブル席に座っていた男がジョン吉に声を掛けて来た。

そのテーブル席はジョン吉が座ろうと思っていたテーブル席だったが、今は隣のテーブル席に座っている男の座るテーブル席である。
その男はソーダ水を飲んでいた。


そして、ジョン吉は思った。
ナポリタンって一体何の事なんだろうか。

しかし何の事は無かった、目の前のケチャップで味付けされたスパゲッティの事で、それは現在、湯気を立てていた。


ジョン吉は言った。

「そうかもしれませんね。」

『万作』②ジョン吉

『万作』

■ 第二章 ジョン吉


◆ ジョン吉と呼ばれる男。

ジョン吉と呼ばれる男がいる。


彼は中学2年生の時に「俺はジョンだ!」と宣言した事があったのだが、周囲は彼を「ジョン吉」と呼んだ。
それ以降も彼は周囲にジョン吉と呼ばれ続けてていた。

今、思い返してみると、何故あの時、自分に付属する名称が「ジョン」であるべきだ、と確信したのかさっぱり思い出せない。
そして、結局は目論見とは異なる「ジョン吉」と言う呼び名が彼の属性として、彼の人生に纏わりつく事となってしまった。

しかしながら、当初の目論見とは異なるその名称も捨てたものでは無く、今では自ら「ジョン吉」と名乗っていた。
本当の名前は時に不便で、それゆえ「ジョン吉」と言う名称はとても便利なものだ。


ジョン吉と呼ばれる男の本当の名前は、今では周囲の誰も知らない。
だから、彼は今ではジョン吉そのものなのである。


現在、午後12時34分。
ジョン吉は歩いていた。


◆ ポケットを使った、手のやり場に対する考察。

街の雑踏。
スクランブル交差点とは名ばかりの、単にごちゃごちゃと信号の付いた交差点。

ここは郊外のさほど大きくも無い町なのだ。
もう少し整然と道路環境が整備されているべきだと思いながら、ジョン吉は歩いていた。

そして、昼間の街灯と言うものは、何の為に立っているのであろうか。
そんな事を考えながら、時折ポケットから手を出したり、違うポケットに手を入れてみたり。


手と言うやつは、使わない時、そのやり場に困る。

だから、ポケットを使って、いろいろと、そのやり場についての考察をしていたのだ。
しかしそれは、ポケットが無い時はどうしたら良いのかについての考察を、後に必要とするものであった。


ジョン吉は、とある喫茶店へと向かっていた。

『万作』①万作

『万作』
■ 第一章 万作


◆ 「ストローぐち」と書いてある穴にストローを挿す男。

万作は目が覚めると、寝る前に買っておいたカップコーヒーに手を伸ばした。
「ストローぐち」と書いてある穴にストローを挿し、飲む。

まあ、美味い。

タバコが切れているし、空は酷く晴れていて、夕方の西日の強さを思うと今から気が滅入りそうだった。

現在、午前11時18分。
電話が鳴った。


◆ ベアからの電話の内容。

電話はベアと言う男からで、仕事の依頼だった。
が、単純に仕事の依頼と言うよりは、依頼されていた仕事が一つ減って、新たに一つ依頼されたと言うだけの事であった。

何と言う事は無い、何も変わらなかった。

少し説明すると、依頼されていた仕事を万作はすでに終えていた為、ベアの電話は万作に「取り越し苦労」を与えたとも言える。
全くもって、不愉快だ。


◆ 外出の際、身に纏うべき思想。

電話を切ると、万作は切れていたタバコと、空腹を満たす為の何かを手に入れる為、身支度をした。

「手に入れる」
ここではコンビニエンスストアへ買いに行く、と言う事にしよう。

万作にとってそれは当然の事なのであるが、Tシャツとトランクスと言う出で立ちで、玄関のドアを開けて表へ出る事はあまり良くないと万作は考えている。
なぜなら、街の人たちがその様な出で立ちで通りを歩いている光景を万作は見た事が無かったからだ。

それはつまり、街の人たちにとっても当然の事だと言う事なのだろう。
Tシャツとトランクスと言う出で立ちで、玄関のドアを開けて表へ出るのはあまり良くないと言う思想。

とても面倒臭かったが、ズボンを穿き、サンダルを突っ掛けて、予定通りのものを万作は手に入れた。


フリーライター

再び玄関のドアを開閉させ、自室へ戻ると、買ってきた磯辺餅その他で空腹を満たした。
空腹を満たし終えると、封を切ったばかりのタバコに火をつけた。


万作はいわゆるフリーライターだった。
あるいは、フリーライターと呼ばれる事で、社会的な意味合いがわかりやすくなる存在であった。

フリーランスで請け負い仕事をしており、時には完成した原稿が不要になるという様な理不尽な事がたまに起こる。


今回も、ベアから頼まれていた原稿はすでに書き終えていたのだが、その仕事は先ほどキャンセルになった訳で、苦心して書き上げた原稿は当初の意味を失っていた。
原稿を書いた万作しか読んだ事の無い、そして今後誰も読むことの無い文字の羅列と化していた。

自己の思考の過程の断片と言う意味しか持たない文字の羅列。
そんなものに、果たして何らかの意味があるのだろうか。

「伝える為でも無ければ、伝わる為でも無く存在する文字列。」

それは、万作の所有する、彼の仕事道具である所のコンピュータに納められている。
とどのつまり、「0」と「1」の組み合わせ。

こんな事があるたびに、万作は酷く奇妙な感覚に襲われるのだった。


書きあがっていた原稿は、ベアこと阿部熊三氏へ手渡され、しかるべく使用され、人の目に触れ、万作へ報酬が支払われた時点で当初の意味を真っ当するはずであった。

だがしかし、当初の意味が真っ当されると言う様な事はもはや起こるまい。
キャンセルになってしまったのだから、キャンセルがキャンセルされぬ限りはである。

それらは、万作のコンピュータの内部に「0」と「1」の羅列として、万作がそのデータを消去するまで、永遠にその姿をとどめる事であろう。

そして、いつか万作自身もその事を忘れてしまうのだろう。
ひっそりと世界の何処かに佇む、誰からも忘れ去られた古代遺跡の持つ思念の在り方と言うものが、もし仮にあるとすれば、それはまるでその「ひっそりと世界の何処かに佇む、誰からも忘れ去られた古代遺跡の持つ思念」のようだ。


万作は、そんな事を考える事に何だかうんざりして、ベアから頼まれた「新しい方の仕事」に手を着けようと言う予定を取りやめ、さらに再び玄関のドアを開閉させ、表へ出る事にした。

好都合な事に、先ほど買い物に出かけた事で「Tシャツとトランクスと言う出で立ち」は、現在、万作のものでは無かったからである。

万作には、いつもこんな日に足を運ぶ場所があった。

時計は午後12時42分を示していた。